『24 HOUR PARTY PEOPLE 』一瞬で永遠 終わらないムーブメント いつか終わる人生

 某シンデレラガールズのビートシューターイベントを走っている最中に、ふと久しぶりに観たくなった映画『24 HOUR PARTY PEOPLE』を観たらとても気分が良くなってしまい、その結果ここ数日毎日見返しては部屋で1人で踊ってしまっているのでせっかくなのでこのどうしようもなく愚かで、そして最高の作品の感想をここに残しておこうと思う。

 

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 不況の嵐が吹き荒れる1976年6月4日のマンチェスターのレッサー・フリー・トレイド・ホールで行われたセックス・ピストルズのライヴ。ライヴの観客は42人、その中には後にシンプリー・レッドを結成するミック・ハックネル、後にジョイ・ディヴィジョンとなるワルシャワのメンバー、後にバズ・コックスのメンバーとなるハワード・ディヴォード、後にザ・スミスのメンバーとなるモリッシー、ニュース・キャスターであり後にファクトリー・レコードを創設するトニー・ウィルソンがいた。

 物語はウィルソンと4人の若者によるサクセス・ストーリー。俳優のアラン・イラズマス、マネージャーのロブ・グレイトン、プロデューサーのマーティン・ハネット、そして後にニュー・オーダーなどファクトリー所属アーティストのアルバムジャケットなどを手掛けるようになるピーター・サヴィル。そしてウィルソンが創設したファクトリー・レコードから生まれた音楽、そのファクトリーが手掛けた大型クラブ「ハシエンダ」がひとつのムーヴメント、時代、伝説を築き上げていく。

24アワー・パーティー・ピープル - Wikipedia

 

 あらすじを読むと人によっては知らない固有名詞やワードが多くて辟易してしまうかもしれないが問題はない。この映画に出てくるのはある時代のある街の音楽と、そして人間だけであり、特に主要なバンドとして登場するのはJoy Division(New Order)とHappy Mondaysの2つで、実はとても限定的なものなのである。

 あなたが何も知らなかったとしてもこの作品で聞こえてくる音楽と、この街の雰囲気と、トニー・ウィルソンのつかみどころのない語りにただ酔いしれていればいいのだ。そしてその感覚が気に入れば自ずと身体が躍り出す事だろう。(こんな感じで急に画面のこちら側に語りかけてくるの好き)

  実際に自分はこの映画を観てからファクトリー・レコードの曲を聴き始めたような所はあるので、本当に気楽に観てもらえればいいと思う。バカでアホで最低で悲しくて楽しくて、そして少しだけ象徴的だったりもして、オッサンが語り部なのに"青春映画"でもある。そんな普遍的な作品だからだ。

 こういった文章を書く時に、どうもあらすじを長々と追ってしまうところがあるので、今回はさっくりと語ってみようと思う。そういう訳で観てない人は今すぐ観ましょう。今現在配信してる動画サービスは多分無いけど!(TSUTAYAディスカスとかで借りればいいんじゃないかな!?)

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 まず物語の冒頭はTVのレポートでトニー・ウィルソンがハングライダー体験をする珍妙なシーンから始まる。

 「"ハイ"になる」だとか「セックスより気持ちいい」だとか言いながら無様に墜落したりするシーンが続き、この時点で個人的には既に面白いのだが、レポートが終わった後、TVの向こう側にいるはずのトニーはこの作品を観ている我々に語りかける。

「この映画にはこのような象徴的なシーンが何度も出てくる」

「僕は神話のイカロスだった」

「意味がわからない奴は本を読んで勉強しな」

 そしてハッピー・マンデーズの名曲でありこの映画のタイトルでもある「24 HOUR PARTY PEOPLE」が流れ出すOP。もう最高。

 ここで言っているように、本作は正にこのハングライダーシーンが示しているような"飛翔と落下"が繰り返される作品だ。

 そしてそれはトニー・ウィルソン個人だけではなく、登場する各バンドや舞台となるマンチェスターという街にさえも言える。文化、時代の流れ、そこに生きる人々……。最早この世界にあるもの全てがそれに当てはまるのだとさえ言っているかのようだ。

 その中でも作中で特に印象的なのはやはりイアン・カーティスの死と、その後に現れるハッピー・マンデーズであろう。まさに陰と陽、死と生、と言った感じで実に面白い。マンデーズのショーン・ライダーのチンピラぶりが本当にどうしようもないのだけど、物語の流れからいくとそこに妙に安心してしまう自分もいる。本当にどうしようもないのだけどね。元気に生きてる奴はやっぱすごいんだよな。

 安定した物なんて出てこない。というより安定を求めた人は彼の元から去っていく。そして変な奴らが集まって変なことをしていく。だからこそ最低で最高な作品となっている。そしてそんな不安定さに自分はロックというものを感じてしまう。感じてしまうなあ。

 とにかくそういった"浮き沈み"がこの作品の重要な要素だ。そしてそれは実にエンターテイメント的でもある。冒頭のハングライダーレポートに対してトニーが「あんなのただの公開処刑だ!」みたいなことを言うがその通りなのである。栄光も挫折も側から見る分にはエンターテイメントでしかないのかもしれない。

 象徴的といえばこの他には"輪"という物もこの作品には出てくる。「運命の車輪」なんて物を回すシーンは 実にわかりやすい。

 "浮き沈み"が連続する作品だがこの"連続"という部分は一種のループでもある。

 幸と不幸が終わりの時まで連続する事こそが人生であるとこの作品は言う。

 この文章を書きながら「音楽もそういった構成をしているよな」なんてことを思う。

 そしてこの映画はそんな人生を、バンドを、文化を、音楽を、肯定する。

 自ら命を経ったイアンの事も決して強く責めたりはしない。ファクトリーの契約書にある通り、全てはその人の、バンドの自由であるから。陰鬱なところもあったけど実は彼にも陽気な面はあったのだとだけ教えてくれる。そして静かに別れを告げ「第二幕」が始まる。

 そこから登場するハッピー・マンデーズは本当にろくでもなくて最高だが、彼らが最初に楽しそうに大量の鳩を撃墜(殺鼠剤)したようにジワジワと、そして最後に大きな打撃を加えてトニー・ウィルソンの栄光はハシエンダの終了と共に終わりを迎えることとなる。

 冒頭のセックス・ピストルズのライブと同じように、その一見しょぼいような音に"乗れた"物が新たな文化を築いていくシーンはとても良い。もちろんこれも連続要素である。新たな文化の生まれる瞬間がどちらも何とも言えない絶妙さで映像になっているのもこの映画の良いところだと思う。伝説であろうと神は細部に宿るのかもしれない。

 トニー・ウィルソンは秩序のないこのマンチェスターという街を、そういった秩序のない自由を愛しすぎていたからこそ破滅したのだと自ら語る。ハシエンダ最後の夜にフロアでかかるマンデーズの「ハレルヤ」を聴いていると、そこに後悔の気持ちなど全くなさそうだ。

 彼はこのクラブに入る直前、破滅した気分はどうかと問うインタビュアーに答える。

「僕はタンポポの股毛(綿毛)だった」

「もう役目は果たした」

「大乱交だ!興奮してきたぜ!」

 僕はここでSAOのアニメを思い出した。

 Twitterでうるさくしていたのでもしかしたら覚えている人もいるかもしれないが、少なくともあのアニメは間違いなく「茅場晶彦という個人の"創造"の喜びを自らの種(精子)を世界中にばら撒く行為」で示していた。

 SAOのアニメも、この映画も、大規模なファックを公開(処刑)するエンタメ作品だったのだ。興奮してきたぜ。

 とにかくそういった奇人の一人勝ちを見せつけられるわけだが、それでもどこか寂しげな表情でフロアを彷徨い最後の夜を過ごすトニー。

 観客はもちろん、その場にいるはずのない、自分の元やこの世から去った者までがただ音楽に身を任せ踊っているシーンはあまりにも享楽的だ。これはこの作品が第4の壁の存在を曖昧にしているからこそ自然に挟むことができる特大の物語的な虚構であり、そしてサプライズである。そこにドキュメンタリーとしての真実性を求める必要などなく、この映画を観ている我々観客もその快楽に溺れて踊り出してしまうのだ。

 そしてそんな"踊り出す人々"を見た時に、トニーは気付く。同じように"踊り出した"我々も気付くことだろう。

 このシーンはこの映画で3度目となる新たなムーブメントの出発点として示されているのだ。

 ハシエンダはこの夜で終わり、それによってマッドチェスターブームも終焉を迎えることとなるが、それはつまり次の波が押し寄せてくるという事でもある。

 そしてトニーは会社にある物、パソコンや音楽機材などを全て勝手に持ち帰って良いと言う。

 全ては音楽を愛する人のため、そしてその中から新たな伝説の誕生を願い、彼はここでも"種"を撒く。彼の愛する無秩序な形で。

 ここで終わってもいいぐらい痺れるシーンだがこの映画はこの後に短いエピローグが挟まる。

 本当に最高のシーンだ。

 ダメな奴ら。ドラッグ。チープな幻覚。大きな自尊心。曇りきった空。

 最低なものばかりが集まった日の出すら見えない早朝の屋上でこの作品はこう締める。

 「最高じゃねーか」

 

 急いで書いたので文章がかなり酷いと思いますが読んでくれた人にはありがとうございます。久しぶりに観たのですが本当に最高の映画です。

 トニー・ウィルソンがその後も浮上して墜落してを繰り返しながらも彼は人生を続けているというような文章がED冒頭で示されるわけですが、彼は2007年に闘病の末息を引き取っています。彼にとって最後の瞬間が浮上と墜落の繰り返しの中でも幸福な瞬間であったことを願ってこの文章を終わります。